四の章  北颪 きたおろし
 (お侍 extra)
 



     無垢色の夜に



 あれはまだ神無村へと着いて日も浅かった頃ではなかったか。野伏せりとの一戦を前にして、勿論のこと真剣真摯に構えてはいたものの、合議じゃ軍議じゃというような堅苦しいそれではなくの ひょんな折なぞに。ついのこととて、先の大戦でのよもやま話で座が沸く場合が偶にあり。何せ当時は“侍”の大半が軍へ籍を置いていたのだ、昔を語ればどうしたって、その時期の話となってしまうのはそれも已なしというところ。大半は、戦さの悲惨さがどうのこうのというよな沈んだ話や、敵をどれほど撃沈させたかなんてな、武勲をひけらかすよなそれではなく。もっぱら どんな馬鹿騒ぎをしたかとか色事の上での武勇伝、はたまた、世にも稀なる珍しい現象を体験したとかいった、他愛ないものが多かったものの。

 「…そういえば、こんなことがあり申した。」

 大戦を軍人としては体験していない約2名が同座していなかったとある折。ふっと、五郎兵衛殿が思い出したように語り始めた話があって。



 そろそろ戦況も終盤かという時期のこと。前線の白兵戦部隊、斬艦刀乗りという部署から、地域分署のそれとはいえ司令部づきへと異動がなされて間がなかった五郎兵衛殿。通信部の監督を任されての最初に赴任したところは、敵である北軍常駐部隊と接してはいたものの、どう考えても南軍優位の辺境戦域で。地形からしてこちらへ有利な土地であり、いいかげん諦めて撤退すればいいものを、ちまちまと奇襲を仕掛けて来ては撤収してゆくという小ぶりな師団がなかなか去らずの居座っており。言わばそれの監視を任されたようなものという支部だったとか。小競り合いのような戦闘が何日かに一度はあって、そのたび、呆気なくも追い詰められた敵兵が何人か捕虜として捕らえられては、移送のためにと基地まで連行されてくる。その兵士らは、どれもこれもなかなかに肝の座った歴戦のもののふ揃いで、しかも、どの兵も口を揃えて自分たちの司令官を誉めそやして憚りなく。日頃は物静かな知将で、なのに戦さに望む折はその果断さが何とも精悍だの。いつだって進んで斬戦刀に機乗され、ご自身が陣頭に立って戦場へと臨まれる剛の者、あのような猛将は南軍にもそうはおるまいだのと、胸を張っての奏上が絶えぬので、
『されど、お前らの部隊はこんなささやかな攻勢しか仕掛けては来ぬではないか。』
 揚げ句に、毎回捕虜を差し出すていたらく。それほどに知恵者で徳もある指揮官なれば、こんな小さな戦域なぞ、あっと言う間にからげておってもよかろうにと、尋問担当がからかうように揶揄すると、
『それは…上層部が無理難題を吹っかけてくる結果だ、しようがない』
 やはり口を揃えてそうと言い返すのがセオリーになっており。知恵や蓄積がどれほどあろうと、資材・人材などなどの物量が足りなさ過ぎてはどうにもしようがない。それほどの悪条件下でも貴公ほどの練達であれば、あわよくば突破口を開けるのではないかとの采配を押し付けられてのこの現状。見込まれてのことと言えば聞こえはいいが、それにしたって…漏れ聞いた話では、実は司令官殿への人望を妬んでの無理な采配との噂もあるとかで。双方皆殺しになろう消耗戦を嫌い、部下らの犬死ににしかならぬ玉砕は絶対に選ばず。それが上からの指令でも聞こえぬを通した剛毅なところが、心ある元帥からはあっぱれと褒められたが、学もないくせに命令を聞かぬとは生意気だと、一部の上級階層の人々からは執拗に妬まれておいで。
『しかも。副官の若造がまた、そんな連中から回されて来た奴なのか、いやらしいキツネめで。』
 次の作戦指令でお前とお前、勝ち目のない戦域へ放り出されるよと。身辺の整理でもしておくのだなと、厭味なことを先触れしやがる。隊長からのお達しならば、どんな苦難も喜んでと拝命出来るが、何であんな いけ好かない奴に言われねばならぬ。ムッと来ての怒鳴り合いや殴り合いになったこともしばしばで。だが、そやつが腕もまた立つものだから、痣の一つも残してやれずで、ほんに気の悪いことと。口々に悪評を垂れる者ばかりだったそんな中、

 『…やめないか。』

 虜囚の中から、聞くに耐え兼ねてという声が上がったことが一度あり。
『あの方は、わざとに我らへそんな態度を取ってらしたのが判らぬか。』
『何だと?』
『俺は聞いたのだ。隊長殿が呆れたように叱っておいでだったのを。』
 たまさか行き合わせた兵舎の片隅。夜警の途中の副官殿を呼び止められた司令官。その時までは俺も、むかつく奴よと思うておった。だから、ああとうとう司令官殿のお耳に入ったかと、叱られるところを嘲笑でもしてやろうかと思うてな。物陰に隠れたままで聞いておった。ところが、

  ―― どうしてあのようなわざとらしい煽りつけをする。

 司令官殿は気づいておられた。副官殿がそんな口利きをしていることも、それから…本意から悪たれぶっていはしないということも。わざわざ要らぬ怒りを買いおってと静かに叱っておいでなのへ、

  ―― いいのですよ、と。

 副官殿はそりゃあ軽やかに小さく苦笑をなされて。皆は隊長を慕っております。どんな無茶な作戦でも、口答えせず喜んで拝命を受けましょう。されど、どう考えたって無謀な奇襲の連続で。皆、有能なもののふなればこそ、それへもとうに気づいております。あがいても為す術なき事態へ、誰をか恨みたくもなりましょう。どこかに何か、煮え切らぬものを抱えたまんまになってしまう歯痒さは、どうかすると判断力さえ鈍らせます。生還出来たものが、たかがそんな理由での敢えなき戦死だなぞと、笑うに笑えないじゃあないですか。

  ―― そこで、そんな憤懣を吐き出す相手、
      せいぜい厭味な者が目の前におればどうですか?

 辛さや不満はそいつのせいだということにすればいい。さすれば少しは解消されましょう、こなくそと気分も高揚し、任務へ集中も出来ましょうよ…と、淡々と語っておられてな。

 『…そんな。』

 これを幸いと言っていいものか、あの憎らしいキツネめを見返してやらんと、士気が高いまんま出撃してゆく面々の生還率、この方面の戦域ではウチが随一なんですよね、と。そりゃあ楽しそうに仰せだった副官殿には、さしもの司令官殿も苦笑をなさるしかなかったらしいと。そやつが語った話には、皆が皆、言葉を無くして項垂れてしもうてな。



「某
(それがし)は程なくして別の地域の司令部へと移ったのだが。しばらくほどすると、まずは落ちまいとされていたその辺境の戦域が、ほんの1日で攻め落とされたとの報があっての。」
「…おや。」
「顔ぶれは同じ隊であるらしかったが、それにしては数カ月にも渡って繰り返されて来た奇襲のパターンを大きく違
(たが)えた戦法で、一気にかかっての呆気なく。互いの兵にもさしたる被害は出さない、何とも見事なやりようで落ちたその砦。のちは終戦のその日まで、北軍占有の橋頭堡と化してしまったという話での。」
 随分と根気良くかかって“目眩し”を刷り込んでおられたことよと、苦笑をしたは銀髪の壮年殿の言いよう。哨戒の当番待ち、焚き火を囲んでいた顔触れには、五郎兵衛殿と七郎次、平八が顔を揃えており、自主的に途轍もない範囲を見回る自分は当番へと組まれていなかったものの、丁度一通りの巡回を終えてのこと、間近の樹の根元に腰を下ろして休んでいた折。彼らの話も聞くとはなしに聞いており、

 「それってもしや…。」

 焚き火の傍らから平八が“おやや”と顔を向けたのが、そのお話にあれこれと符合しそうなところの大かりしお仲間へ。それぞれが初対面同士の“寄せ集め”である中で、唯一、戦時中からの付き合いがあったのが、我らが首魁・島田勘兵衛殿と、槍を振るわせれば国士無双の使い手、七郎次殿のお二人であり。負け戦の大将と呼ばれつつも、不思議と人望厚きお人柄の元・北軍司令官に仕えていたというところといい、若いに似ない懐ろの深い心掛けをした副官殿だったというところといい、こちらにおわす気配り上手なお人と重なるところが大過ぎやしませんかと。元より、同じような気がして話を振った五郎兵衛のそれとともどもに、感じ入ったからこその視線を向けたらしいのだが。その先にいたご本人、金髪白面、三本まげの美丈夫はといえば、

 「いやですよう。
  ゴロさんが感服なさったお話に出て来るようなお偉いお人、
  このアタシであるワケがないじゃあありませんか。」

 お顔さえ上げぬまま、歌うようにさらりと言って。苦笑混じりにあっさりと、受け流してしまったもので。え〜? だって若い身空で副官だっただなんて、年功序列の上が詰まってた終戦間近い頃合いにはそれだけでも十分に珍しい話ですよ? そうですか? アタシがいたのは随分と入れ替わりの激しかった方面部隊だったから、同世代の副官は結構おいでになりましたよ? そんなこんなな言い逃れを並べてから、

  ―― ただ、と。

 生身の方の形のいい手で、ほいと薪を足した焚き火の炎を見やりつつ。ぽつりと口にした言いようがあって。
「仕えていた御方が、どんな場においても揺るがない、堅い堅い矜持や信念をお持ちなお人で。その御仁にただただついてゆくと決めていた身だったなら。」

  ―― その御方の見ている先だけ、望むものだけ見てりゃあいい。

「そういう忠心から物事決める癖が出来るとネ、迷わないで済む分、存外 楽が出来るもんでしてね。」
 そのお話のお人がどうかは存じませんが、アタシはもっぱらそれで通しておりましたと。軽やかに言ってのけての、くすすと笑った槍使い殿であり。さも、自分は物事の判断に頭を使わなかったし悩みもしなかったと言いたげで。お道化ることで後の二人を呆れさせ、そこへとやって来た哨戒帰りの勝四郎や菊千代へ、さあさ暖まっておきなさいと腕によりかけて世話を焼き始めたので、そのお話はそれまでとなったのだが。

  ―― 彼のような性のものが、誰ぞへ依存し切っていられるだろうか。

 迷わないから楽が出来る…だなんて、いかにも調子のいい奴が口にしそうな言いようをしていたが。そんな責任転嫁どころか、惚れ込んだ御主には手を汚させまいとして、あらゆる方面へ加減を知らない滅私奉公をし尽くした彼なのではなかろうか。仕えた相手の心意気へ従うと…迷わないと決めること自体が、途轍もない修羅を選ぶこととなる相手だっていよう。あの、老獪狡猾なまでに練達であるくせに知恵者であるくせに、自らのためにはそれらを使わぬ、至って不器用な男の生きざまへ。苦笑混じりに、それでもついてゆきましょうぞと、供をかって出るような。彼もまた大概酔狂な男であったから。

 「…。」

 その頃はまだ、彼らとの間にさほどの親しみやすさも構築されてはなかった自分へと、視線に気づいたそのまま振り返って来た古女房が、にこり微笑って見せたのが。今にして思うと…それもまた、島田勘兵衛への“障害”若しくは“災厄”だとこちらを意識した上での、立派な“宣戦布告”だったのかもしれないなと。そして、だとすれば、

  ―― ほら、やっぱり。

 島田のためであれば何だってするし、何にだって立ち向かうのじゃあないかと。いつぞや“懐柔なんてするつもりはない”なんて言ってた彼
(か)の人のついた優しい嘘へ。今頃になって気づいた久蔵だったりするのである。






  ◇  ◇  ◇



 「……ぞう。久蔵、いかがした?」

 何度か呼ばれてハッとした。ついぼんやりと考え事をしていたらしく、思惟に耽るのがいけなかないが。誰もいない場ならともかくも、ほんの数間という間合いに誰ぞがいての物思いに沈み込み、相手の気配さえ読み損ねたまま、すっかり隙だらけの態でいただなんて。戦さ場じゃあなし、誰ぞから指弾される筋合いのことではないながら、他でもない自分でみっともないと恥じ入る久蔵で。
「〜〜〜。」
 ちょっとした自己嫌悪を感じつつも、手にしていたものを思い出し、それを湯煎しようとしたところが、

 「そのままでは無理があろう。」
 「…。(頷)」

 湯殿から出て来たばかりの勘兵衛から、囲炉裏の鉄瓶へ一升徳利を押し込むところを制された久蔵。確かに、口径が合わなさすぎてこれは無理と断じたところへ、
「こちらの瓶子へ移すといい。それと、その前に湯飲みへ少し湯をおくれ。」
 差し出されたのは、二合ほどが入るそれなのだろう磁器の徳利。頷いて受け取ると、まずは鉄瓶から湯を取り、それからそれからと指示された通りにして燗をつける。持ち上げた湯飲みがさほど熱く感じなかったのは、久蔵もまた湯を浴びた身だから。誰かさんの介添えがないときはカラスの行水が常の次男坊。先に上がったそのまま、何とはなく手持ち無沙汰であったがゆえの気まぐれで、視線が留まった一升徳利を土間から持って来たまではよかったが。さあ、これがどうやって燗をつけたものか。おっ母様のいつもの手際を思い出そうとして、思いあぐねているうちにふと、先のやり取りなんぞを思い出してしまった彼であり。

 “脈絡のないことを…。”

 何からそうなった想起であったか、もはや辿るも難しく。夜長の静謐の中、連想がそうまで遠くへ飛び火するほど、長湯であったということかと。自分と同様、寒さ避けにと用意されてあった綿入れを、小袖の上へ羽織った壮年殿が板の間へ上がって来るのを見やっておれば、

 「ほれ。」
 「…っ。」

 差し出されたのが、甘い香のする湯飲み。先程取った湯へ、ショウガと蜂蜜を足したらしく、普段は七郎次が下戸の久蔵へと作ってくれる飲み物を、彼もまた造作なく作れるらしい。かたじけないと目礼し、口をつければ…少しだけ違う風味もし、

 「?」
 「ああ。ユズを垂らした。」

 嫌いであったか? 囲炉裏端の丁度向かい、常の定位置へと腰を下ろしつつ訊いて来られて、ん〜んとかぶりを振って見せる。こういう味もあるのかと思い、ぱちぱちと瞬きをしただけ。だのに、それを見落とさず、拾い上げてくれた勘兵衛であり。そうかと目許を細めての笑みが向けられると、

 「〜。///////」

 何というのか、ホッとする。誰かといて、なのに隙だらけだったのも、誰かといて安堵にひたれるなんてのも、思えば此処に来てから覚えたことだ。物心ついた頃にはもう、刀さばきに熱中しており、不用意に気を抜いたり油断をするなどあり得ない身となっていて。そんな勘の良さを誰がどう聞きつけたやら、南軍の幼年学校へ、随分と異例の早さで引き取られた。そこからはますますのやっとぉ三昧。和むとか安らぐとかには縁がなく、覚めているか寝ているか、起きている間は刀との一体化しか考えたことがなかったほどで。

  ―― だから、あの大戦が終わった時は。

 何が何やら判らずに、還れぬ空ばかりを見上げてただただ虚しく過ごしていたと思う。時折訪れる もののふの気配へ血が騒ぐか、そうでないときは目を開いたまま眠っているか。そうやって、ただ生きていただけ。自分の周囲に広がる世界も知らず、風の香も雨垂れの音も、状況判断への付帯材料でしかなくて。停滞した世界の中、心だけが乾いて乾いて。もはや何も感じ取れなくなりつつあった…そんなところへ現れたのが、この男。

 『…お主、侍か?』

 こちらこそ、練達の侍の噂を聞いて、いかほどのものかと見に来た身。だってのに、真っ向からそんな言いようで訊かれたのが、久蔵には目に見えぬ刀にて胸底を突き通されたほどの衝撃でもあって。この御時世に“侍”であることがどれほどのことか。自分がそうだったような用心棒として裕福な商人に雇われるか、さもなくば浪人か野伏せりとなり果てるかしかない、今や最も潰しの利かない肩書きでしかないのが“侍”だというに。そうでなければ用はないと言わんばかりの、挑発とそれから。胸を張っての泰然とした威容とを見せつけて来た勘兵衛へ、問答無用と刀を抜いて、挑みかかったあの日から。久蔵の周囲を取り巻いていた“世界”は、曇りガラスが一気に弾けたかと思えたほど、それは勢い良く息づき色づいて。そうと思えたくらいに鮮やかに、彼自身の意識を叩き起こしたのがあの出会い。それ以来、周囲をずっと遠くまでを見渡せるようになった久蔵は、だが、そのせいでの余計なことまで拾えるようになったらしいなと、これまた今頃になって気づかされてもいる。

 「…。」

 燗のついた徳利を持ち上げ、手酌で湯飲みへそそいだ酒を、堪能しつつ飲み干す姿が、何とも様になっている勘兵衛へ。何ということもなくの視線を向けておれば。それへと気づいた彼が視線を合わせてから…ふと、小さく笑って見せて。
「今度
(こたび)は、さほど散らかしてもおらぬから。」
 まま、面目は立つのじゃあないかと室内を見回す彼につられ、自分でもちらと視線を巡らせた久蔵。確かに、今回のお留守番では前回ほど途轍もない散らかし方にはなっておらずで、だが、今日でやっとの2日目なのだから当然といや当然の話。これでまた前回と変わらぬ様相になっておれば、さしもの七郎次だとて叱るより呆れたかもしれない。昼の間は、村の衆に請われれば、薪割りから水汲み、家の補修の手伝いなどなどと、大概のことへの手伝いに向かったし。それがなくとも哨戒に出たり、鎮守の森では雪の季節を前にしての枝の補強、雪吊りの設置を手伝ったりと。陽のあるうちはやることも結構あったが、宵が迫るとたちまち手持ち無沙汰になる。家内での所謂“手仕事”というのが、彼らの性に合わないせいもあるのだろう。それでも前回の留守番中は、例えば勘兵衛は仲間内の刀を研いで過ごしていたし、久蔵はコマチのものだという絵草紙をキララから借りては、この年まで知らなかったおとぎ話を読み耽ってもおり。………そんな過ごし方をしていて、どうしてああまで取っ散らかったのかは、今となっては謎である。

 「…。」

 することとて無いままに、だが、特に居心地が悪いということもなく。囲炉裏からの輻射熱に頬を膝を温め、遠く近く吹きすぐ風の音をぼんやりと聞いておれば。
「…?」
 不意に。立ち上がると囲炉裏の縁を回り、勘兵衛のすぐ傍らまで歩みを運んで来た久蔵。なめらかで迷いのない足取りといい態度といい、何ぞ話でもあるのかと思わせる様子であったものが。
「…。」
「久蔵?」
 勘兵衛が座したるすぐ傍らへ、その小ぶりなお膝を片方落として突いてのそのまま。だが、しばし…ただじっとこちらを見やるばかりな彼であり。いかがしたかと小首を傾げて問いかければ、

 「〜〜〜。/////」

 白い手が伸びて来て、深色の蓬髪がかかるこちらの肩に触れかかり。そこへ達する直前の宙にて、一瞬戸惑うように泳いでの それから。ためらうように戻りかけたのを見やっておれば。あらためて二の腕に届いた同じ手が、今度は指を立ててまでしての掴みよう。勘兵衛が綿入れを着ていなければ、堅く張った筋骨には力及ばず、そうまで食い込ませることは適わなかったのではと思わせるほどの…求めようであり。

  ―― よしか?

 低く訊けば、無言のままに。だが、くっきりと頷いて。上がったお顔のその中で、赤い瞳が潤んでいるのは、不安からかそれとも、ただ単に囲炉裏からの光を映していたものなのか………。





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  *亀の歩みは相変わらずです。
   こういう葛藤話は、やっぱり難しいですね。
   ましてや、これまでに扱ったことのないタイプのお人たちばっかですし。
   ががが、頑張りますね?
(苦笑)